「ね!このサプリ本当に身体にいいから!あげる!毎日飲んでね!」「あっ大丈夫っす……」

普段、Twitterで話題になってることとかニュースとか誰かの発言に対して「それは違うでしょ」とか「なにいってだこいつ」と思っても、その感情をそのまま発信する前に、一息ついて携帯やPCから離れるようにしている。

その場の勢いでなにか述べようとしてたところで一息つくと、大体「まあいいか」と流せたり落ち着いたりすることが多い。

どこにでもめちゃくちゃなこと言ってる人や自分の意見とあわない人はいるし、それにいちいち反応してる自分も嫌だなあと思うので、頑張って大人な自分を演出している。

 

だから高校野球のおにぎりマネージャーの件も、軟式野球の延長に対して「虐待だ」とかいう論争が巻き起こってる件も、某スポーツ選手(男)が女性にセクハラされてかわいそうだとかいう件も、なんか巷で盛り上がってるけど自分はネット上では特に何も言わないできた。

 

けど、今ふと上の話題3つについて、「なんじゃその意見」って思わず突っ込みたくなったものを思い返してみると、なんか共通点があるような気がしたのでそれについてだけこっそり書く。

なんか、「犠牲にされてかわいそう」とか「つらい思いをしてる"はず"」とかいう、当人の気持ちを代弁してる風味をただよわせながらも実は個人的な意見を述べてるにすぎないやつ。

よく言えば人の立場に立って物事を考えようとする姿勢を持とうとしてるんだろうけど、その「人の立場に立って考える」が「自分の思いをその人に押し付ける」形になってしまっているのを見るとすごく気持ち悪いなあと感じる。

 

あのマネージャーは「本当は勉強したいけど、マネージャーやらされてつらいよつらいよー」って思ってるのだろうか。

軟式野球ですごいイニングまで延長で頑張ったナインは「3年間の集大成だけどさすがに体力きついし、もうじゃんけんでちゃちゃっと勝敗決めたほうがよかった」って思ってるのだろうか。

セクハラ受けた選手は「本当に嫌でした。訴えたいけど上司やし…」と思ってるのか(これに対しては公式に「別にそんなに深刻に考えてません」ってコメント出たけど)。

 

マネージャーの件なんて、「あの子かわいいし話題になりそうなネタがあるから取り上げちゃえー」って魂胆で、一部分しか見えない情報として発信されたもんだってまるわかりやんけ。

あの子に限らず、学業より命かけてますみたいな状態で何かに取り組んでる高校生はたくさんいるけど、たまたまメディアが取り上げたから情報として入ってきた訳であって。

そもそも取り上げられたあの子だけがマネージャーじゃなくて他に仕事手伝う後輩とか野球部員ゼロってことないだろうし、つらかったら自分から辞めるって選択すら出来ないほどの強制力なのかなとも思うし。

なのに、外野が「かわいそうかわいそうかわいそう」って、そんな意見持たれることがかわいそうだと感じてしまいました。

 

セクハラの件だって、なんか出てしまった映像を見て外野が「嫌がってるように"見える"」とか「やっぱり上司だししかも女性だから嫌だって言えないし、今も公式な見解として"出せない"んじゃなかろうか」とか、「かわいそうかわいそうかわいそう」とか、そんな意見持たれることがかわいそう(本人そんなに大事だと思ってないのに面倒くさそう)だと感じてしまいました。

 

まあ、この「感じました」っていうのも個人の一感情にすぎないんですけど。

 

ひとつの事例を全体に当てはめて、体制的にどうなっていくべきかという議論に発展していく時もあるけど、そうした時気をつけなければならないのはやっぱりその事例がひとつの例であって、体制を語る材料としては全然足りてないってこと。体制を議論したいならその話題だけじゃなく、もっと広くそのことについて知ってからでも遅くないんじゃなかろうか。

 

真実は見る方向や関わってる人の立場によって違うからひとつってことは絶対にないんだけど、少なくとも本人が望んでないことを押し付けて、まわりから嫌がられたりめんどくせーなーって思われる、おせっかいおばさんみたいにはなりたくないなあと思いました。

 

 

おわり。